“楽しい”の意味

“楽しい” って、人によって違うし、

何が定義なのか議論は、とても難しい。


先日、インターン生と話していた時、


『楽しい?』って聞いたら

『Not so bad. =まあまあ、悪くないよ。』っていうので

「それって、どうしたら Excellent =素晴らしい! になるの?』

 と聞いてみた。


-どうしたらあなたの生活はもっと楽しくなって、ワクワクするのか?


これが意外に難しいらしい。笑


せっかく毎日働くんだし、

未来は可能性に満ち溢れてるし、

きっとやりたいことはどんどんできるようになっていくはずだし、

少なくともこの世界で今私たちの置かれてる環境ってとても恵まれてるんだから、

だったら毎日心配ばっかりしてないで楽しんだ方がよくない?

と聞いてみたものの、


『Yuki の言ってる意味はわかる。だけどどうしたら毎日がそんなに楽しくなるの?』

と聞き返されてしまったので、、、

考えてみた。


結果、ひとつ思い当たったことは、非常に単純で、

「一生懸命やること」

だった。笑


たとえば、同じことを毎日繰り返していたとしても、

その工程を200%マックスで頑張ったら、

結果がダメだった時はむちゃくちゃ悔しいし、

良かった時はそりゃーもう飛び跳ねて誰かに抱きつきたくなるくらい嬉しい。


だけどもし50%の力でやってたら、

結果ダメでもどうでもいいし、良くてもそんなものか、、、

と、きっと思う。



日常って本当はとても些細なことで、

どんなに大きな夢を描いても地に足をつけるということは

毎日の地道な努力の積み重ねだけど、


その小さな努力の中にきっとヒントとか飛躍のための種がたくさんある。

と、私は思う。


そして、そういう世の中であって欲しいと、心から想う。


だから、そんなに簡単に自分の思い通りにならなくったって、

自分で頑張ったことは自分でも楽しめるし

(少なくとも良くも悪くも感情の起伏はきっとある)、


もしそれを誰かが見てくれてて

たとえば一緒に頑張ってくれたり(悔しがってくれたり)、

思いが共有できて同じ方向を向けたり、

結果何かが動いていたり価値がちゃんと形になって誰かが笑ってたときは、

泣きそうになるくらい嬉しい。


だからまた頑張れるし、そういうものに人はきっと

ワクワクして、感動する。



楽しいということは、

私にとっては楽をすることじゃないし、

かといって毎日夜中まで働くことではないんだけど、


でもやっぱり誰かが誰かのために

一生懸命必死に何かをしている姿は、

単純にとても美しいと想うし、


それはべつに仕事じゃなくたって、

大好きな友人がお母さん業を頑張ってる姿だって、

子供が体操してる姿だっておんなじで、


たとえば先週、

初めてひとりでバク転ができた子供がっこっちを見て飛びついてきた時の姿に、

私も、

そこにいた子供たち全員も、

見ていたお母さん全員も、

感動させられて抱きしめちゃったのと同じで、



壁倒立2分間がしんどくって、

悔しくてしんどくてそれでも泣きながらでもやろうとしてる子供たちの姿も、

先週できなかったのに次の週にできるようになって見せてくれる得意げな笑顔も、

だからこその次の挑戦への自身に満ちた表情も、

なのにまたできない壁がきちゃって苦戦してる姿も、

私にとっては全部、ぜーーーんぶともとても美しい。


だからきっと、

泣くほどしんどいならやらなくていいよって、

教えてる私が先に言っちゃったら、

その後の感動はきっとなかなか来ない。



大人になってもそれはきっと一緒で、

思い通りにならないことも、

やりたいのにできないことも、

毎日毎日山ほどあるけど、

でもできないことがカッコ悪いんじゃなくて、

そこに必死に立ち向かうから美しいのであって、


自分の可能性を途中で諦めちゃったり、

一生懸命じゃなくなっちゃったら

きっとそんな毎日は楽しくなくなっちゃうし、

ワクワクがとても少なくなっちゃう気がする。


だからやっぱり、

楽しいの定義はひとによって違っても、


なんでもいいけど

自分がやりたいと想ったり、

誰かと約束したり、

いいなと想うものやコトには、

一生懸命向かっていこうと私はおもう。


Yuki's Blog

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